帯広ばんえい競馬について
帯広市長選挙の日がどんどん近づいてきました。僕が不思議に思うのは“帯広の市政上における大きな課題”についての議論があまりされていないことなのです。
例えば“ばんえい競馬”ですが、この“帯広の資源・財産をどのように守るのか”は、帯広市民の僕にとってもとても興味のあることなのです!
そこで今日は“ばんば”についての僕の考えを、コラムに書きます(少し長くなりますので・・・)。
さて、帯広市の“ばんえい競馬”ですが、僕は昨年5月のブログ(→リンク)において、「帯広市の対応が中途半端であり、将来的なビジョンも打ち出せていないことに関して不満を持っている」ということを書きました。
しかし、僕の目には「ばんばの関係者や農協連を見ると、この期に及んでもまだ自分達の利益や縄張りを死守している」というように映ってしまうのですが、その一方で、ばんえい競馬が赤字続きであるために“かなりの苦労をしている方々が沢山居る”という事実もあります。
僕は、「ばんえい競馬」に対して今のような中途半端な対応を続けている限り、ばんばを応援する「市民のボランティア方々の輪」すら広がらず、逆に、多くの帯広市民が「本当に“ばんばは必要なのか”と疑問を持ち始めるのではないか」と心配をしています。
つい先日も、競馬場に「複合施設」を作るという案件が、市議会で揉めたようですが、帯広市も、ばんば関係者の方々も帯広市議会も「何を目指そうとしているのか」・・・、僕には全くもって分からないのです。
これはあくまでも僕の私見ですが、僕は行政も地元も、もし「ばんばを存続しよう」と決めたのであれば、目標達成に向けて、期限を決めた「ばんば再生計画」のような目標値と期限をしっかり設定し、その目標達成に向けて最大限の努力をすべきだと思っています。
そして、その期限が来たときには、“ばんば”についてきちんと客観的に検証をすべきだと考えています。もし、ばんえい競馬事業が「赤字」のままであった場合には、その赤字の額が「市民の理解を得られる額であるか」ということに関しても、きちんと議論すべきだと思っています。
今のままでは、市民が「ばんばが帯広市にとってどのような意味を持つのか」についてきちんと考えずに、単に「税金の無駄使い」と考えることになるでしょう。この「ばんえい競馬」の存続については「市民意識の形成」が不可欠なのは間違いありません。僕は、市も関係者も今までのような対応をし続けるのであれば、近い将来「帯広市民は“ばんばの存続には反対”という意思表示をする」と思っています。
僕は「ばんばは十勝の素晴らしい観光資源になりうる」と思っていますが、しかし実際のところ「観光資源」にはなっておらず、「どのようにして観光資源にするのか」という議論が皆無であるのも大問題なのです。もし「ばんばは観光資源である」という根拠で“ばんば”を存続させたいのであれば、関係者は早急にその道筋を示すべきなのです。
僕は、今の競馬場の地主である「農協連」には、言いたいことが沢山あります。ここではあえて苦言は呈しませんが、もし本気で「ばんば」を考えるのであれば“引越し”だって視野に入れてもよいと僕は思っているのです。例えば、僕は「観光客や家族客を呼ぶ為に、空港と高速道路からのアクセスの良いグリュック王国を利用してはどうか」とも考えていました。
僕は「今後も、農協連にあれだけの施設使用料を払い続けるのであれば、いっそグリュック王国を買い上げて、あそこの遊園地を活かし、ばんばの開催日だけ店を営業させたり、フリーマーケット等のイベントを企画しながら、来場者を集めてはどうか。観光バスもダダで駐車出来るようにすれば、ツアーにだって組み込まれるだろう。高速道路からのアクセスも抜群だ。遊園地もあり、子供連れの客も期待できる。なんなら「ふわふわドーム」を常設しても良いのでないか。費用だって今よりも安く上がるのではないか。」と、何人かの市議やマスコミに言ったことがあるのですが、話はそこで終わったようです。まあ、夢物語であることは分かっていますがそれ位の「大胆な発想」も必要なのではないでしょうか。本気で「ばんばを復活をさせる」というのであれば、「大胆に事業を見直す必要がある」と僕は信じているのです。
また、この点についての議論は全く無いのですが、僕は関係者の方々に「ばんえい競馬はギャンブルであり、マイナスの要素が多い」ということも、しっかり認識して欲しいと思っているのです。ギャンブルであるがゆえに「この素晴らしい文化を子供達に教えづらく、存続を反対する市民が多い」という事実から、我々は目を逸らすべきではないと思うのです。
ばんえい競馬は確かに「世界で唯一」のものですが、「世界に唯一」であるのは、裏を返すと、他の地域が「残すべき文化とはいえない」という判断をした結果かもしれないのです。勿論、僕はそうは思っていませんが、ばんえい競馬のことを快く思っていない方々は「世界で唯一かどうか知らないが、ギャンブルに対して湯水のように税金を注ぎ込むのはおかしい。もっと有効に税金を使うべき箇所が沢山ある!」と主張するはずであり、この考え方は多くの市民を納得させる説得力を持っているのです。しかし、そういう方々だって「馬文化を残す」為に税金を投入するのであれば、理解していただけるかもしれません。しかし、その場合は「ギャンブル」という形では無く、観光客や子供達に見せる為の観光や学習に特化した「馬による農業を守って行くような施策」に転換しなければならないかもしれません。
僕は「どうえい競馬」に関しても、道庁の担当セクションに同じような話をしていますが、道営競馬にしても「ばんば」にしても、近い将来「存続するか・止めるかという選択を迫られる日」が必ず来るのです。どちらを選択するにしても、早急に「本質的な議論」を始める必要があるのです。
現在、多くの帯広市民や道民は「経済の疲弊」によって「苦しい生活を送らざるを得ない状況」に陥っています。更に自治体の運営も厳しさを増している中、市民や道民の「税金の使い方に対する考え方」は、かなりシビアになっているのです。
僕は、ギャンブルとしての「ばんえい競馬」を残すのであれば「馬文化」や「世界で唯一」「素晴らしい観光資源になる可能性がある」といったような「奇麗ごとのようなキーワード」を並べるのではなく、きちんと目に見える「成果」を出すことが至上命題だと思うのです。どうやったら「ばんえい競馬という武器をつかって儲けられるのか」を、ビジネスとして捉えた上で戦略を建てるべきだと考えています。
また、ギリギリの線で「ばんば」を生き残らせるには、場合によっては「市民の理解」を得る為に「ギャンブル」の部分を捨て、新しい観光モデルを構築し「馬文化の伝承」を行っていくという「ばんば関係者にはかなり厳しい選択肢」からも目を逸らさず、真剣に議論をすべきだと考えています。
僕は、もっと関係者や当事者に、「市民の方々が応援したいと思うような取り組みを行って欲しい」と考えていますし、「強い危機感」を持ってもらいたいと思っているのです。
僕は道議会議員でありますので、市の行政に「口出し出来ない」のが歯がゆいのですが、それでもで市の方々には直接苦言を呈してきたつもりです。
僕は、「ばんば」という文化を残したいと思っていますし、応援はいくらでもしたいのですが、如何せん「地元がそれだけ盛り上がってはおらず、どうすることも出来ない」と言うのが正直な所です。
以上の話ですが、「道議会議員の小野寺」としての意見ではなく、あくまでも「帯広市民の小野寺個人の意見」として、ご理解いただければ幸いです。
ここまで、長い文章(しかも、誤字脱字だらけだと思いますが)を書いたのは、僕の「ばんえい競馬を存続させたい」という思いだと受け取って頂いて結構です。