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昭一さんをしのぶ会・・・

2009 年 10 月 16 日(金)23:14 | 日記 | 5 Comments |

 今日、地元の十勝・帯広で 「故中川昭一元財政・金融相をしのぶ哀惜の会」 が、自民党道連、自民党11選挙区支部、中川十勝連合後援会の合同開催で執り行われました。

 僕は、東京に行っていたにも拘らず、急遽北海道に帰ることになったので、善福寺での「8日の通夜」に参列をすることが出来ませんでした。ですので、僕は初めて「昭一さんの祭壇」を見たのです。しのぶ会が始まる前、僕は昭一さんの遺影をずっと見ながら、「やはり、現実として受け止めなければならないのか・・・」と考えていました。

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 しのぶ会の式の中で、僕は特に麻生前総理の弔辞に感動しました。その弔辞には「昭一さんに対する想い」が溢れていて、その一言一言が僕の心を揺さぶりました。

 僕は地元の道議会議員として、献花を終えると出口付近に立ち、参列して下さった方々にお礼をしました。当初は、「一人一人、全員の方にお礼の気持ちを込めてお辞儀をさせて頂こう」と考えていたのですが、あまりの人数の多さにそれもままならない状態でした。「この参列者の列はいつになったら途切れるだろう」と思う位、長い間お礼をし続けました。

 十勝・北海道のみならず、全国各地からの多くの方々献花をして頂きました。建物の外にまで長い列が出来ていましたし、列の後ろの方々が祭壇に辿り着き献花をするために、2時間以上はかかったはずです。参列して下さった方が4000人以上だったことを、夕刊の新聞報道で知りました。

 今日、改めて中川昭一という政治家の偉大さを実感しました。

 僕は、しのぶ会が始まる前から終わるまで、ずっと悲しい気持ちと、残念な気持ちで一杯でした。

 中川昭一先生のご冥福を心からお祈りいたします。

コメント

  1. とよ より:

    昨日の会、お疲れさまでした。
    私も札幌方面から参列させていただいたのですが、本当にたくさんの人、お花で、あらためて、中川先生が多くの方に必要とされていたことを思い、感慨もひとしおでした。

    ですがまだどうしても、先生が亡くなられたという実感がわきません。
    会に行けば自分なりに整理がつくかと思っていましたが、麻生前総理はじめそうそうたる方々が並ばれた、まさしく非日常の光景に、ますます現実のこととは思えなくなりました。
    先生方の並ばれる中に、中川先生もごく自然に混じっていらっしゃるような気がして、ついお姿を探してしまいました。

    私は中川先生の御生前、ついにお目にかかることはありませんでした。ただ先生の、「永遠の国益」のため、正しい主張を信念をもって貫かれる姿を、国民として信頼申し上げ、活躍をお祈りしていた、それだけのことです。
    その私にしてこの喪失感、ご遺族の皆様はもとより、小野寺先生のご心中、拝察するにあまりあります。

    どうぞ、お疲れが出ませんように。
    くれぐれもご自愛の上、ますますご活躍ください。

  2. 小野寺 まさる より:

    とよ さんへ

     札幌から参列して下さったのですか?本当にありがとうございます。
     多くのテレビカメラが並び、カメラのフラッシュが驚くほど光り続ける状況は、本当に「非日常」でしたね。
     あのような信念と頭脳を持った「素晴らしい政治家」は、北海道からはもう現れないでしょうね。僕も本当に無念です。
     お悲しみの中、僕を励まして頂き、本当にありがとうございます。
     政治家は健康が第一ですので、体調を管理しながら、ギリギリ(笑)まで頑張ります!
     コメント、本当にありがとうございました。

  3. 一般市民 より:

     昨日は最後の参列者の方がお帰りになるまで、お疲れ様でした。と書きたかったのですが、お疲れ様も何も小野寺道議は当たり前の事をしたのでしょう。感謝の気持ちなんでしょうね。
     後でテレビにて中の様子を見ましたが、安倍元総理の悲しそうなお顔が印象的でした。安倍元総理、麻生前総理の元で、必要とされ素晴らしい仕事をしてたのだと思います。今ネットで、中川さんの画像集めをしてます。そのうち消えてしまうかもしれませんので。そんな中で、麻生さんと安倍さんとは兄弟のような間柄だったのでしょうか。そんな画像が沢山見つかりました。
     昨日は本当に凄い人でした。私はその4000人の参列者の最後の方でした。地元の企業の大物の方々も、私等同様に2時間待って参列されてました。そんな中で盗み聞きをしてしまいましたが、『本当に惜しい、悔しい、残念』という声が聞こえました。十勝にとって、日本にとって本当に大事な方を亡くしたとつくづく実感いたしました。
     あのG7での会見、あれは会議終了後の大した会見ではなかったはず。そしてごく一部だけを流し続けたマスコミ。3KやA新聞社などは捏造記事を書く始末。あのG7での中川昭一の評価は全くされていない。IMF専務理事が「過去に例のない最大の貢献」と言った、その評価は何処へ行ってしまったのでしょうか。G7で何をして来たかの方が大事だったのではないのでしょうか。あの中川さんを批判するのなら、一緒に会見に臨んだ白川日銀総裁、同行者全てを非難すべきと感じます。
     8月の総選挙で十勝の住民は、中川昭一を選べなかったこと、本当に残念です。地元有権者の中には、『十勝に足を運ばない』など言う方も居たようですが、大臣を兼務、党の中での重役、委員会などの中、分刻みのスケジュールの中で、十勝の戻る暇もないと言うことを何故理解して上げられなかったのか。今までの功績を、こんな時こそ何故思い出してあげれなかったのか。残念です。十勝の為だけではなく、日本の為には、東アジアの3国のみならず、相手がアメリカであっても、正当な理由、正論をもって立ち向かえる方でした。現に、麻生政権時代には総理、中川さんこの2人は間違いなくアメリカには嫌われていたでしょう。アメリカの言いなりにはならない、中川さんが簡単にお金を出すことをしないからです。
     毎日何度も、中川さんのHPを見てしまいます。何時か無くなってしまうのではないかと心配で。出来ることならば、ずっと残しておいて欲しい。そう思ってる方も少なくないはずです。あの、よれよれの中川さんが育てたチユーリップの花も何時までも見たい。
    私の思い出に残ってる、会見や記事、本当にスッキリとさせてくれました。

    以下、中川さんの言動など。中川昭一HPより→リンク

     熱くなってしまいましたが、本当に国益という事に徹していた、真の愛国者であったと感じます。昨日は本当に寂しい思いをしました。十勝はどうなるんでしょうか。本当に心配でなりません。奥様が、『日本一!』と声を掛けた事がありましたが、本当に日本一の政治家です。あの、はにかんだ顔、真剣な顔はもう見れないのですね。

    そんな中、昨日、小野寺道議に最後にお会い出来た事を嬉しく思います。

  4. 小野寺 まさる より:

    一般市民さんへ
     昨日はお疲れ様でした!僕もお会いできて良かったです!
     多くの方が、昭一さんのために会場に駆けつけて下さいました。僕の、あまりの人数にびっくりしてしまいました。
     そうそう、式が始まってからかなりの時間が経ってから、一般市民さんとお会いできたので、その時に「2時間待ったグループだったんだ」と分かっていました。本当にお疲れ様でした。
     昭一さんに対する強い想いが伝わってくるコメント、本当にありがとうございました。(コメントとしては、文が少し長くなっていましたので、昭一さんのHPにあったメッセージから下の部分は、別のページにリンクを張らせて頂きました!)

  5. 九州の中川昭一ファン より:

    はじめまして。私は、九州に住む中川昭一ファンです。父が地方議員だったこともあり、小学生の頃から政治と身近に接してきました。家内には、中川先生のことをいつも、「昭一さん」と言って、先生の活躍を話して聞かせていました(よって、以下、中川先生のことは「昭一さん」と書かせていただきます)。

    10月4日10時すぎ、突然の悲報を耳にして、私はただただ呆然。1週間は仕事になりませんでした。インターネットで昭一さんに関する情報をずーっと調べていたら、小野寺道議のブログにたどり着きました。昭一さんは、2月の財務大臣辞任以降、苦しかっただろうな、苦悩を抱えたまま亡くなられたんだろうなと思うと、涙を堪えることができませんでした。しかし、昭一さんのご遺体に実際にお目にかかられた道議がブログで、昭一さんが安らかな顔をされていたことを拝読し、また、盟友・安倍元首相もサンデー毎日の記事の中で同様のことを言われていたのを読み、少しは気持ちが落ち着きました。

    私が、昭一さんを初めて拝見したのは昭和63年7月でした。「ドキュメント’88」という番組で昭一さんと鈴木宗男氏を特集した企画がありました。当時、昭一さんは34歳で当選2回(それを見ていた私は12歳)。今でも鮮明な記憶として残っているのは(何回も何回もビデオで見たからか?)、予算の時期になると自分でノートを作っているといって、それを見せていた昭一さんのことです。そしてこう言われました。「中曽根さんがノートをとって総理大臣になったというから、僕も総理大臣はどうかわからないけど、予算についてはノートを作ろうかと」。2年程前に、北海道のローカル放送局の特集で「中川昭一の素顔」という企画があったかと思いますが、「本や資料は線を引きながら自分で整理する」昭一さんを見て、若手議員の頃から変わらない昭一さんの凄さを見た思いでした。

    若くして重要ポストに就き、国益を第一に考えながら、地元の繁栄にも力を尽くし、政策にも明るい。そんな“政治家”は他にはいません。今回の選挙は本当に残念でしたが、必ず返り咲き、もっともっと日本国のために頑張ってほしかった。総理大臣になってほしかった。私は、選挙のあとも毎日、昭一さんのホームページを拝見していました。9月14日に、今後の決意をも示された内容を見て、どんなにか嬉しかったことか。それだけに、逝去されて2週間が経った今も、亡くなったということがいまだ信じられません。まわりのみんなは「中川昭一」という政治家の名前は知っていても、あのローマでの記者会見は知っていても、昭一さんがこれまで日本国のためにどれだけ働いてこられたかという詳しいことは知らない人がほとんどです。悔しいですが・・・。そこで、昭一さんのことを本当によくご存知の道議に、私の昭一さんへの思い入れを送ってみたいと、不躾な行動にでてしまいました。

    保守再生という昭一さんの遺志を受け継ぎながら、国を思う心を持ちながら頑張っていきたいと思います。どうか、小野寺道議におかれましても、昭一さんと政治行動をともにされてきた思い出を大切に、また誇りとしながら、政治家として頑張っていただきたいと思います。健康にだけはどうか留意してください。

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