ただいまホームページ移行準備中です。

こちらのホームページは2015年5月29日までのものです。

教員への返信メール!

2009 年 10 月 11 日(日)23:50 | 日記 | 8 Comments |

 さて、昨日のブログでお約束しましたが、一部の教員の方々から送られてきた「非難メール」に対して、僕がどのような返信メールを出したのかを皆さんにお教えします。(返信をする相手によって表現の違いが若干あるものの、以下の部分は殆んどのメールに書きました。)

************************ 以下 ***************************

〇〇さんへ

                    ・・・・・前略・・・・・

  さて、多くの誤解があるようですので、まずは今回の自分の行動についてご説明をしたいと思います。

 8月末頃、私のところへ保護者からの苦情が来たのです。それを要約すると「子供の高校の授業で、新聞の社説を教材として使っている。社説にはいくつもの空欄があり、そこに答えを書かせるような加工もしてあった。その社説は、与党の今までの政策を批判している内容である。空欄の箇所も意図的に決めた感じがする。選挙期間中、こんな資料を使って授業をして良いのか。」という内容でした。

 私は、「保護者から苦情があった。生徒や保護者ができるだけ疑念を抱かないような授業を行って欲しい。選挙期間中の授業で、選挙や政治に関する社説を使うのであれば、特に慎重を期すべきだ。教員も授業でそのような社説を使用する場合には、新聞社によっては社説のトーンが全く異なることもあるのだから、無条件に一社の社説を選ぶということではなく、新聞各社の論調を調べる位の準備をすべきではないか。その上で、授業で使用するに相応しい社説を決める位の知識と配慮が教師にあってもおかしくはないと思う。早急に事実確認をした上で、今後このような苦情が出ないようにして欲しい。」と言う旨の電話を、私は道教委の担当のセクションにしました。

 私は、議員として生徒や保護者からの苦情を切り捨てることは出来ませんでした。ただ、議会で質問するまでもない案件なので「ブログ」に書き、担当課に連絡をして、それでこの問題は終わりにしたつもりでおりました。

 しかし数日が経って、急に北海道新聞の記者から「授業で社説を使った件に関しての取材をしたい」という電話が来ました。私は「既に何日も前のブログに書いてあることを、何でいまさら取材するんだろう?」と不思議に思いながらも「OK」をしました。その後、道新の記者2人が私の所に来て「このような文章が道教委から全道の高校に送られているのを知っていますか」と、私にその文章を見せてくれたのです。その時に初めて、私はその事実を知りました。私はすぐにその文章を読みましたが、道教委がどうして「一社の社説だけを使うのは好ましくない」といった文言を文章の中に入れたのか不思議に思いましたし、「どうしてこんなことを書いちゃったんでしょうね」と、私は2人の記者に言ったのを覚えています。もし、道新にお知り合いの方がいましたら確認して下さって結構です。一連の取材が終わった後、この2人の記者は私に対して「一連の話を聞くと、小野寺道議は不当介入をしていないですね」とも言っていました。これが「道新が教育委員会だけを攻撃する理由である」と私は考えています。

 以上が私のとった行動です。私は「政治や行政が現場に不当介入したことによって生徒が困った」というのであれば、それは当然追求されるべきだと考えています。しかし実際には、「おかしい」と感じた生徒が親にプリントを見せ、親御さんはその不満を道議会議員である私にぶつけたのです。当然、私は議員の責任として「保護者の苦情」を道教委に伝えました。何故、これが「教育現場への不当介入」になるのでしょうか。

 道議会議員が道民から苦情を受けた場合、「その苦情に少しでも合理性があれば、それを担当の課に伝える責務がある」と私は考えています。その行動の何処が問題なのか僕には理解できませんし、そのような議員活動が否定をされること自体おかしいとだと思うのです。

 私は自分の考え方を〇〇さんに押し付けようとは思っていませんのでご安心下さい。ただ、「それでも小野寺のやったことは、教育現場への不当介入だ」とお考えになるのであれば、私は「議員としてどう行動すべきだったのか」、そして「何処が駄目だったのか」を逆に教えて頂きたいと思っています。

                    ・・・・以下、略・・・・・ 

********************************************************

 という感じのメールを送らせて頂きました。僕は先生達への返信メールに嘘は書いていません。事実、このブログだって記者の方々も見るでしょう。

 そうそう、道新の朝刊に記事が載る前夜だったと思うのですが、記者の方から「この問題は小野寺さんが道教委に指摘をし、ご自身のブログに書いたことが発端になっているので、記事の中に『小野寺さんの実名』を入れても良いでしょうか。小野寺さんが教育現場に不当な介入をしたという内容の記事にはなりませんので・・・」というような電話をもらったのです。僕は「別に良いですよ」と軽く了解したのが運の尽きだったのかもしれません・・・(笑)。数日後、「僕のところに苦情メールが山のように来ている」と道新の記者に言ったのですが「本当ですか?」と驚いたようでした。今回の僕に対する一部の教員の方々からのバッシングの原因は、「道新にはめられた」からなのか、それとも「記事を読んでも問題の本質を理解出来ない教員が多いせい」なのか・・・、僕は未だにその原因が分からないままなのです。もしかして、その両方かもしれませんが・・・。

 さて、昨日のブログで、僕は一部の教員の方々に対し「辛らつ」な事を書いてしまいましたが、実は教員の方々と喧嘩をするつもりは全く無いのです。ただ、きちん議論がしたいのです。たとえ、お互いの「主義・主張」が平行線のままであっても、それぞれが「相手は子供達のことを思って真剣に行動をしているのだ」と感じることが出来れば、もっと前向きな話が出来ると思うからです。

 一部の教員の方々が「僕の人格までも否定するようなメール」をいくら送ってきても、それで問題は解決はしません。僕はそんなメールを何通もらおうが、あまり凹まない性格で、逆に燃えてしまうタイプなのです。また「議員だけが仕事ではない。信念を曲げるくらいなら議員バッチは外す」と常に考えているので、どんなに批判されても結構平気なのです。

 僕の行動を快く思っていない教員の方々にお願いがあります。僕は批判は批判として真摯に受け止めますので、もっと紳士的かつ理性的に「教育者に相応しい批判」をして頂きますようお願いをいたします。

追伸 今日の僕ですが、驚くべき量の書類の山に埋もれ、帯広の事務所で決算特別委員会の質問の準備をしていました。かなり遅い時間までやったのですが、目処すらも全く立たない位やるべきことが山のようにあります。かなりぐったりしています・・・。

コメント

  1. K より:

    小野寺道議、お疲れ様です。
    私が思うには、『その両方』ではないかと。

    道新が民主べったり――自社の『鳩山由紀夫事典』の出版ニュースを、こともあろうに中川昭一氏のご葬儀の記事の横に、しかもそれよりも大きく貼り付けるほど。マスコミとしての良心や日本人としての美学は、あの大ローカル新聞にはもう残ってはいないのか――なのだから仕方ないとしても、教員といえば国語の文章問題で、長編の一部を切り取って生徒に読ませただけでその作品の主題を教えられるくらいなのですから、小野寺道議のブログなり懇切丁寧な返信メールなりで、充分理解出来るはずなんですが、残念でなりません。
    私には小学校低学年の子がおりますが、これからどんな教員にどんな教育をされるのか……いや、していただけるのだろうかと心配になります。例えば『君が代』という世紀のラブソングでもある清廉な国歌を拒否させられ、代わりに外国の歌を歌わせられたりはしないだろうか、その際に私は学校へ苦情を言うのだろうけど、モンスターペアレント扱いされる世の中になっていたりはしないだろうか、などと。

    いつも長いコメントですみません。
    しかし、小野寺道議は誰よりも「今、自分は議員として何をやっているか」を伝えてくれる方なので、読んで思う事があれば、道民として国民として、(駄文で恐縮ですが)コメントしたいと思うのです。

  2. 小野寺 まさる より:

    Kさんへ
    僕がブログで書いた「両方」というのは、冗談のつもりで書いたのですが・・・(笑)。
    記者の方はそんなに悪い方ではないと思っていますし、確かに北海道新聞が大騒ぎをし続けている発端が僕であるのは間違いありませんからね。
    結局、イメージだけで攻撃を受けたり批判をされたり・・・っていうのが政治家の宿命のようです。昭一さんの人生を見ても本当にそう感じてしまいます。
    いつもコメントを頂き本当にありがとうございます!

  3. 一般市民 より:

    昔からみると道新は社説もやや偏りは無くなったものの、やはり反自民を感じます。
    本来、公平でなけらばらならいマスコミは、事実を歪曲したり、一部の報道を過度にしたりと、そんなマスコミの社説を教材として使う自体がそもそも可笑しな話。
    子供らに、偏った思想を押し付けるようなものです。

    小野寺道議にメールを送ってきて、それにきちんと返事を返しても、何も反応も無い教師は、生徒とまともに意見を交わせるのか疑問です。人としてましてや人を教える者として。一段と、教員の免許更新制度は必要と感じました。

  4. 小野寺 まさる より:

    一般市民さんへ

    僕は新聞社がどのような考えや思想を持っていて構わないと思っています。それが民主主義の基本だと思うのです。ですので、実際に新聞社の考え方にばらつきがある以上、選挙期間中に社説を使う場合に、その選定には細心の注意が必要だと考えているのです。
    また、返事をくれない教員の方々についてですが、僕はそれらの方々は「教員の名を騙った左派の方々」であり、本当の教員はいなかったと信じたいのです。もし教員の方が居たとしても、僕のブログを読んで返事をくれるかもしれませんし、まあ・・・気長に待つことにします。
    コメント本当にありがとうございました。

  5. さくら より:

    子供を持つ身として教師の方々にお願いしたいことは、特定の宗教や政治思想に関することを決して子供たちに押しつけるような授業をしてほしくないということです。
    保護者としては、学校の先生にそういう教育を望んでいません。大多数の保護者がそうだと信じています。
    小野寺さんの行動は、決して間違っていないと思います。私は、小野寺さんの意見に対して反感を持ったり小野寺さんの人格を否定したりする教師がいることに恐ろしさを感じます。
    小野寺さん、お体を大切に頑張ってくださいね。

  6. 小野寺 まさる より:

    さくらさんへ
    一部の教員が「学校での式典での国旗・国歌を強制するな」と主張するのであれば、逆に「あなた方の思想を子供に強制するな」と主張する保護者の方々が居て当然であり、教員もそれに対して文句を言えないはずです。僕もさくらさんと同じ考えです!
    僕は、「北海道の教育問題」に関してずっと質問を続けてきました。例えば、日本の中で北海道だけ「教員の健康診断」のために学校を休校にしており、僕は「そんなものは夏休みか冬休みにやれば良い」と議会で追求し、この悪しき風習は見直されましたが、この時も攻撃を受けました。あるメールには「ストーカー」と書いてありましたし、「高教組を通して貴方のことを知りました」というメールも頂きました。
    しかし、僕は「教育はまず子供達の為にあるべき」という信念は曲げられないのです。
    コメント本当にありがとうございました!

  7. O府より より:

    まったく違う地域ですが、15年ほど前に義務教育を修了した者です。
    今度我が子が小学校に入学するにあたり、どれほど自分がひどい教育を受けてきたか
    考えることが多くなりました。
    私の育った地域では、組合の先生方は授業中でも組合の会議のために
    授業を放棄することがありました。(今では無いかもしれませんが)
    ある先生は、社会の授業のために他の授業時間を削りました。
    中学生になると、ハッキリと「自民党はダメだ」という先生もいました。

    他にもひどいことは沢山ありました。
    でも、ひとつだけ言わせてください。
    そんな酷い教育を受けましたが、国を愛する心は育まれました。
    学校で教わらなくても、自分の国を大切にする心を見つけました。
    何割かの人は、教わらなくても保守することの必要性に気づいていると思います。
    気づいた私たちは、地道に口コミで伝えていきます。
    ですからどうぞ、議員の先生方も道民の方を導いてくださいますようお願いいたします。

    乱文にて失礼しました。

  8. 小野寺 まさる より:

    O府さんへ

    コメントありがとうございます!関西からなのですね?お名前から場所がわかります(笑)。
    さて、そちらも教育がひどいようですが、北海道もかなりひどいと僕は感じています。お互いの地域も学力テストの成績は下位グループですからね・・・。
    今、「子供達の学力が低いのは先生の数が少ないから」ですとか「親の年収によって決まっている」という主張をする先生がいます。勿論、それもあるかもしれません。また、問題を抱えた子供達の割合が増加し、問題のある保護者も増えてきており、学級の運営すらままならない教育現場があるのも知っています。
    しかし、この他に必ず「資質の無い教職員がいる」というのも原因でもあると僕は思っています。例えば高知県の教職員組合の書記長のホームページを見てください。検索ですぐに出てきます。僕の事も批判していますが、書記長で「あのレベル」なのです。子供達に良い教育を与える為に、住む地域は違っても、お互いに頑張りましょう!

コメント投稿