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中川昭一さんの訃報に接し・・・

2009 年 10 月 4 日(日)23:06 | 日記 | 5 Comments |

今朝、「中川昭一さんが亡くなった」という電話をもらった時、僕はあまりのことに呆然とし、ただただ絶句するだけでした。

電話でその事実を知ったのは、帯広市議会議員の先生のパークゴルフ大会の開会式前だったのです。僕は最初「平静」を装っていましたが、だんだんと頭の中で色々な思い出がよみがえって来て、途中で「作り笑顔」も出来ない状態になり、最期には開会式で自分がどんな挨拶をしたのか殆んど思い出すことが出来ない位の心理状態になってしまいました。

僕が中川昭一さんと最初に会って話をしたのは、今から26年前のことです。昭一さんが30歳、僕が20歳でした。僕の父が自宅の庭で仲間とパーティをしている時、この会場に昭一さんが来たのです。この時、初めて昭一さんと話をしましたが、別れ際に「将来、まさる君が結婚する時は、僕に仲人をやらして欲しい」と僕に言ったのを今でも思い出します。そして「会ったばっかりなのに、こんなことを言うなんて面白い人だな」と思ったことも覚えています。

結局、昭一さんは「実際の仲人」とはなりませんでした。しかし、僕が道議会議員に立起すると決まった時にバックアップをしてくれたのですから、「昭一さんは、僕と政治を結びつけてくれた仲人だ」と、僕はずっと考えていました。

僕が北海道議会議員選挙への立起を決意した後、僕は選挙のパンフレット用に「昭一さんと僕が握手をしている写真」を撮る為、東京の自民党本部に行ったのですが、カメラの調子が悪くなかなか写真が撮れないというトラブルが発生しました。その時、僕と昭一さんは「ずっと手を握ったまま」という変な状況になってしまったのですが、「男同士で長い間、ずっと手を握っているのは変な感じがするな・・・。僕はこういう状況はあんまり好きじゃないな・・・。こんなことなら女性候補にするんだった。」と昭一さんが僕に言ってきたのです。そして二人で手を握ったまま笑ってしまったことを、今でも鮮明に覚えています。あまり多くの人には見せませんでしたが、こういう茶目っ気のある人でした。

僕の最初の選挙では、告示日直前に昭一さんから「これを締めて戦って下さい。」とネクタイをもらいました。そのネクタイを身につけて初戦を勝利で飾ることが出来ました。今でもそのネクタイは大切に保管をしています。

当選が決まった直後には、「道議会議員に当選したのですから、僕はこれからは小野寺道議としての活動を見させていただきます。道議会議員に相応しい堂々とした振る舞いをしてください。これからもよろしくお願いします。」と言われました。実際に、僕が議員になって最初の頃は各種会議に出席しても自分がどう振舞って良いか解らず、出来るだけ末席に座ろうとすると「駄目、駄目。道議の振る舞いをする約束ですよ。ここに座って下さい。」と何度指導をされたか解りません。僕は知らず知らずのうちに、多くのことを昭一さんから教えてもらっていたのです。

多くの思い出が僕の頭の中でぐるぐる回っていて、今は全く気持ちの整理がつかない状況です。

時折、昭一さんから電話をもらいました。朝の5時台の電話は100%が昭一さんからの電話でした。でも、あの電話の声も聞けないと思うと悲しくてしょうがありません。

僕は、「偉大な政治家の手本」を失ってしまいました。昭一さんの死は、「十勝にとっても、北海道にとっても、日本にとっても計り知れない大きな損失」であるということを意味します。僕をはじめ多くの方が「昭一さんの再起」を願っていたのです。本当に残念でなりません。僕の心には大きな穴が開いてしまったような感じです。

今はただ、昭一さんのご冥福を祈るばかりです。

コメント

  1. midi-town より:

    お久しぶりです。
    夜になってこのことを知りました。信じられなくて、悲しくて、悔しくてどうしようもないです。
    これから日本はどこに向かっていくのでしょうか。
    不安で仕方がないです。

  2. 小野寺 まさる より:

    midi-town さんへ
     コメントありがとうございます。僕もいまだに信じられません。これからの日本にとって大きな損失です。僕は明日(6日)、東京に飛びます。

  3. ojarumaru より:

    まさる道議には、是非、昭一氏の分も、頑張って欲しいと思います。そして昭一氏に代わって、偉大な政治家になってください。応援しています。

  4. サエ より:

    以前コメントさせていただきました別海町のサエです。その節は早速のお返事をいただき、ありがとうございました。とても感激いたしました。
    さて、この度の訃報、私共も大変ショックを受けております。しかし、私共よりも身近で接してきた道議のご心痛は、いかばかりかとお察し申し上げます。
    昭一さんの初めての選挙、私は、まだ高校生でした。千羽鶴を渡し、握手をしていただいた手の力強さに『私が大人になっても、この人がいるなら大丈夫だ』と思ったのを覚えています。その後の選挙では、昭一さんの人形を作り、期間中、それを選挙カーに乗せて『一緒に回っているんだよ』と言っていた優しい笑顔。色んな事が思い出されます。
    旅立たれる三日前、両親と私は同じような夢をみました。昭一さんが一人一人に謝罪とお礼を言って回る。とても疲れた顔で、でも笑顔で何度もアリガトウと握手をしてくれた夢でした。夢なのに、起きてからも手の感触が、はっきり残っている不思議な夢でしたので気になっていたのですが…。取り留めの無いこと書いてしまいましたね。申し訳ございません。
    道議もご多忙の中、昭一さんの事で心身共に大変でしょうが、お体には十分お気を付け下さい。そして、誠に勝手ながら、道議は、私が信頼している数少ない政治家です。北海道のため日本のために更なるご活躍を期待しております。
    長文失礼致しました。

  5. 小野寺 まさる より:

    ojarumaruさん、サエさんへ

     先ほど、昭一さんのご自宅に着きました。今はこれをご自宅の応接室から書いています。僕もいまだに信じられないでいます。本当に残念な人を失いました。ojarumaruさんもサエさんも僕も、昭一さんの考え方に賛同している仲間としてこれからも昭一さんの意思をしっかり引き継いでいきましょう。
     コメント本当にありがとうございました。

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