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今日の道新の「卓上四季」・・・

2009 年 10 月 20 日(火)23:51 | 日記 | 2 Comments |

 今日も、道新は「卓上四季」で「高校の授業で社説が使用された問題」を取り上げていましたね。

 更にそれを読んで、昨日の道新にも「この件の記事」が載っていたことを知りました。早速、それも読ませて頂きましたが「見開き2面のスペース」を使った記事だったのには、本当にびっくりしました。

 今日のブログは、それらの記事に対する僕の意見を書きたいと思います。

 まずは、今日の「卓上四季」についてです。その文章の中に・・・

「一連の出来事は『道新の社説は自民党を批判しているように見える』とする道議の指摘が発端だ。」

という説明の文章がありました。

 この部分は、是非・・・

「一連の出来事は『道新の社説は自民党を批判しているように見える』とする生徒の保護者からの苦情を受けた道議の指摘が発端だ。」

に、変更して頂きたいものです。読者の文章から受けるイメージが全く変わるからです。

 僕は、生徒の保護者から苦情を受けなければ「保護者の方が『政治的な意図が感じられる』と疑念を抱くような授業が行われていた」という事実を知り得ませんでした。実は、僕は同時期に「同校の複数の保護者からの同趣旨の別な苦情」も受けていたのです。それらも道教委に伝えてあります。
 
 また、卓上四季の中に「道教委は、政治家に寄り添うために『1紙だけではだめ』との形式論理を編み出したのでは・・・」という主張がありましたが、本当にそうなのでしょうか。僕にはそう思えないのです・・・。

 もしそうであれば、道教委は少なくとも僕に対しては「これで良いか」という確認を取ろうとしたはずです。しかし、実際には道教委からそのような確認は一切無く、通知を出したという事実も、その文章の内容についても、僕は全く知らされていなかったのです。また、仮に「通知文章」を事前に見せてもらっていたとしたら(これは、あり得ませんが・・・)、僕は「この通知の中の『一社だけの使用は駄目』という文章は削除すべきだ」と間違いなく言っていました。

 そう考えると、僕は「政治家に寄り添うため」という道新の主張は、少し乱暴だと感じてしまうのです。

 また、昨日の記事ですが・・・【 関東でも議員介入“規制の拡大を懸念”】という見出しも気になりました。この“関東でも”という表現から、道新は「小野寺道議も教育現場に介入をした」と考えていることが解かってしまいます。これについては「小野寺道議が不当な介入をしたとは書いていない」とおっしゃるのでしょうか。

 広辞苑によると、【介入】とは・・・問題・事件・紛争などに、本来の当事者でない者が強引にかかわること・・・と書かれてあります。

 僕は、保護者から苦情を受け、それを道教委に伝えて指摘をしただけなのです。その後の道教委の対応も全く関知をしていません。これでも「強引にかかわった」ということになるのでしょうか。そういう認識が、僕には全く無いのです。

( 詳しくは、2009/10/11 のブログをお読み下さい。  リンク → 教員への返信メール!

 この問題ですが、僕は・・・「ある高校の授業で新聞の社説が教材として使われ、その事実を子供が親に話し、その内容を知らされて怒った保護者の方が僕に文句を言い、僕はその苦情を道教委に伝え、道教委は、生徒から保護者を通して複数の苦情があったという事実を重く受け止め、「今後このような苦情や疑念が出てこないように、しっかりと対応しよう!」と考え、道内の道立高校に対して「生徒や保護者に誤解を与えないように注意して欲しい」という通知を出し、「授業で新聞を使う際の指針」を作ることを決めた・・・という話だと思っています。

 確かに、道教委が発送した通知の中に「一社の社説だけを使うことは好ましくない」という文章を入れてしまいました。これは「明らかにミス」です。道新はこの点を追求をしていますが、僕も問題だと思っています。しかし、道教委は新たに「授業で新聞を利用する際の指針」を策定するそうですので、策定の過程で「この点」についてはきちんと議論し、結果を出せば良いのです。大変でしょうが、頑張って下さい。

 さて・・・、実は過去に2度、僕は「北海道新聞」と大喧嘩をしたことがあるのです。

 事実、僕が道議2期目の最初の頃は、道新の記者に対して「僕の事務所には二度と来て欲しくない」と宣言し、それ以降道新からの取材は一切受けませんでした。また、道議会においても「自分の質問における核心部分の情報提供」は一切しませんでした。

 その当時、僕は「皆が大騒ぎをするような質問を道議会でどんどんやって、道新だけには一切情報を教えないでおこう。絶対に反省させてやる・・・」と思っていたのです。結局、会社側からの謝罪はありませんでしたが、道新の記者の方々と話をする機会が増えるにつれ、僕の気持ちも変わっていきました。「特落ち(自分の社だけ記事が抜けること)だけは勘弁してください。本社から怒られました。」と、何度か記者に泣きつかれましたし、本当に記者の方々は魅力的で素晴らしい方ばかりだったので、「記者の方々が悪いわけではない」と思い始めたのです。最終的に、僕は「今までのことは水に流そう」と決めたのです。

 なので、僕には今さら「北海道新聞」と喧嘩をするつもりなど全く無いのです。ただ、一連の報道を見ていると・・・何だか「悲しい気持ち」になり、自分の考えをブログに書かずにはおれませんでした。