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いわゆる「社会的弱者」について

2010 年 10 月 1 日(金)23:59 | 日記 | 1 Comment |

 そういえば、29日の毎日新聞の記事に登場する“与党の中堅議員”って、僕のことです。取材がなかったので僕もかなりびっくりしました。多分、新聞記者もびっくりしてこのことを覚えていたのでしょうね。(毎日新聞の記事へ→リンク

 今日は“社会的弱者”について書こうと思います。

 今、世の中に“社会的弱者”という言葉がありますが、僕はこれらの方々を「弱者」だとは考えていないのです。それらの方々の中には車椅子に乗っている方もいますし、目や耳が不自由な方もいます。何らかの理由で経済的に困窮している方もいるでしょうし、一口に“弱者”といっても様々です。

 しかし、それらの方々は往々にして“健常者よりもしっかりとした考え”を持ち、強い精神をもって明るく前向きに人生を歩んでおられます。そういう意味において、僕はこれらの方々を“弱者”と呼ぶにのには抵抗があるのです。

 にもかかわらず、何故それらの方々が“弱者”と呼ばれるのでしょう。それは健常者が“自分達の世界観・価値観”に当てはめて、その方々を捉えようとするからです。

 でも、良く考えてください。例えば、手話を使う“ろう者”の方々は「うるさい場所でちょっとでも離れると会話が出来ないなんて不自由だろうな」と我々を見ているのでしょうし、目が不自由な方だって「空気の変化から周りの状況を把握できないのか。停電の時はすごく不自由だろうな」って、逆に我々を哀れに思っているのかもしれません。このように“立場と目線”を変えると、我々の方が弱者なのです。

 さて、最近、世の中には弱者でもないのに、「自分は弱者だ!何でも面倒を見ろ!」と騒ぎ、おこぼれを搾取する“下品な輩(やから)”が増えてきました。そういえば、僕はツイッターを始動させましたが、その中で僕にたてついてくる人達は、何故かこのような方々が多いのです。このような輩こそが「卑怯で弱い精神を持っている」という意味での“弱者”であり、このような“人間的弱者”が増えると、本当にサポートを必要としている人が十分な施策を受けられなくなるのです。

 僕は、政治家としても人間としても“社会的弱者の仮面をかぶり、甘い汁を吸い続けている者”を決して許すことが出来ないのです。

【追伸】
今日は、道議会では予算特別委員会が行われています。これは予定では7日まで行われるのですが、僕がこの委員会で質問をしないなんて信じられないことなのです。それは、今定例会で僕は代表質問を行ったからですが、僕が今“帯広の事務所にいる”というのは、自分でもかなり不思議な感じですね・・・。

コメント

  1. 柏倉 より:

    小野寺道議、お疲れ様です。
    わたくしが(つまんねえな)と感じて一度は止めたTwitterを再開した理由は、小野寺道議のフォロワーとなるためでした。
    なにしろ、その一挙手一投足は道民として見逃せないですから。
    たとえば先日の、Twitter上で変なところをクリックした際の狼狽ぶりとか(笑)

    話を戻しまして、Twitterでリツィートという機能がありますが、わたくしはあれを『賛同すべきと考える意見を周囲に広めたい』というポジティヴな目的のものだと受け取っていました。
    しかし、道議にイチャモン(議論にすらならない)をつけてくる方に興味があってそちらを覗いてみましたら、『気に入らない意見を味方にまわして荒らす手伝いをしてくれる者を募る』という使い方をしているように受け取れました。

    まったく、パソコン通信がインターネットと名を変えて世に浸透し始めた頃から十数年以上経った今も、この素晴らしい通信手段をネガティヴな用途にしか使えない者が絶えません。
    我が国程度の経年ではまだまだ成熟出来ない世界なのか、猫も杓子も利権コジキも卑怯者までもインターネットの時代だからなのか、このインターネットで数多くの友人を得たわたくしのような者にとっては、「なんとまあ、もったいない使い方をして」と思ってしまいます。

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